uehaj's blog

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京速計算機の話はベクトル型かどうかが中核的ポイントなのではないか

ちまたでは京速計算機の話が話題ですね。

門外漢の意見として言うと、これって、NECが今の延長線上でのベクトル型プロセッサの開発をあきらめた、というのが発端であり本質であり核心ですよね。今予算をつけるつけないのというのは、なんていうか、余韻というか、残滓の部分の話でしかない。

今年5月の時点でNECは「ベクトル型スーパーコンピューター」の技術開発を今の形で進めても未来は無いと判断し、京速計算機のハード開発から脱退し、その代わりにNECは、ベクトル型の技術の未来を、Intelと組んでxeonのベクトル化することに託しました。

その時点で、地球エミュレータからの流れを継ぐ、日本のお家芸であるベクトル型スーパーコンピューター開発と、そしてその活用方法としての「ベクトル+スカラ複合型アーキテクチャ」=京速計算機プロジェクトのコアは本来は終わっているべきなんではないでしょうか。国の技術競争力の話として、残念だというならその時点でそのことを残念だった、というべき。過去形ね。

あまり自信を持って言う訳ではないのですが、日本が得意分野なのはベクトル型、もしくはその活用としての複合型アーキテクチャなのですよね。もしそうなら、比較優位である得意分野に国家プロジェクトとして注力するのは、応用的に意味もあるし、過去に成果もあげているわけで、正当化できたかもしれません。しかし、NECが抜けた時点でこのシナリオは瓦解したわけです。ちなみに、技術分野での国家プロジェクトがなぜ駄目か、という理由として「技術やビジネスの状況変化に相対したときに、迅速に方向転換ができないから」ということがあるかと思いますが、まさしくその陥穽に陥りかけているように感じられます。

なお、NECにとってIntelとの提携は、(ひょっとしたらNECの人に取っては忸怩たるものがあるのかもしれませんが、)長期的な企業戦略としての見込みや、ビジネス的リターンを踏まえ、ワンショットのドーピングとして国の資金を得ることよりも、NECにとって選ぶべきものだったのでしょうね。確かに、xeonに組み込まれる形で、広く使われるマイクロプロセッサのアーキテクチャがベクトル化した方が遥かに技術の裾野が広がるでしょうし、時代の流れでもあることでしょう。いろいろとリターンも期待できるのではないかと思います(知りませんが)。

というような主張を、NECの人が言わないのがこの議論のポイントがズレまくる理由なのだとおもうのです。まあ経緯上、言いにくいし言えないのでしょうね。もちろん、NECが離脱した後の残った人たちも、口が裂けても言えないでしょう。結果、「目的がTop500だけなのか」と仕分け人にいわれて反論できない状況に陥ることになります。気の毒はなしですけど、他に医療とか人の生き死にに関わる重要な分野があり、財政状況もあり、「気の毒だから」といって認められる話では全くない。

私はスーパーコンピュータのユーザーでも開発者でもないので、上はまったくもって個人的な感想です。

ただ、「ベクトル型がどうか」っていうのが技術的には中核ポイントだと思うのに、報道でもブログ記事とかで見ても、論点されているのをあんまり見たことないので書いてみました。まあ、ベクトル型はもともと論外だ、っていうことで言及されてないのかもしれませんけれども*1

以下、とても参考になる情報。ベクトル型をやめるんならもっと遥かに安くならなきゃおかしいんですね。税金返せ。

(蛇足)批判も多い「仕分け」についてですが、巨額な税金を使う研究が、ワイドショーなり何なりで、国民がその存在を意識し議論がなされるようになった、というのは、パフォーマンスとして、結果的にたいへん良いことだと思います。「馬鹿な国民にはどうせ学術的価値が分からないから隠しとけ」はおかしい。そのために、あのような仕分けの乱暴な言い方ややりかたも効果的であり、意図してだったら凄い。

(蛇足2)関係ないけど「京」という概念を広く世に知らしめたのは「キョーダイン」でしょう。だから私はつい「京」のことを「キョー」と読んでしまいますが、本当は「ケイ」です。

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*1:ベクトル型の否定は簡単です。「スケールしない」以上。